結東

新潟県津南町と長野県栄村にまたがる秋山郷。
越後秋山郷の中心的集落が『結東』です。
人間が生活する地域としては世界有数の豪雪地帯(積雪3~4m)。
昔ながらの文化が残っている貴重な集落です。
(2019年10月現在 - 人口:46人 / 世帯数:24世帯)


『見倉橋』

結東集落と見倉集落を結ぶ吊り橋で、新潟の橋50選に選定されています。今では珍しくなった天然の吊り橋で、橋下に広がる中津川渓谷の景観は絶景。以前は、この吊り橋を渡って見倉集落の子供達は中津峡小学校に通っていました。

(中津峡小学校は1992年に閉校、現在は「秋山郷結東温泉 かたくりの宿」として運営中。)

動画提供|津南町観光協会理事 : 小林 幸一


『結東石垣田』

結東集落の北側にある、全国農村景観百選にも選ばれている美しい石垣の棚田。開墾が始まったのは明治25年(1892年)頃。この石垣田は、鳥甲山と苗場山の溶岩(柱状節理)が崩れた落石を利用しています。また、近くに水源が無い為、山から水路を引いて水を確保しています。

☑結東石垣田の保存活動『石の花』

動画提供|津南町観光協会理事 : 小林 幸一


『結東じゃまくら石公園』

人が住む以前、ここは沼地で大蛇が住んでいて、大きな石を枕にして寝ていたと語り継がれる公園。結東の人口が増えて水が汚れ、大蛇は去ってしまったと言われています。公園になる前は水田があり、現在は少なくなってしまいましたが、たくさんの蛍が飛んでいました。


『佐藤佐平治翁 記念碑』

江戸時代後期に全国で相次いだ大飢饉で大きな被害を受けた秋山郷に、資金や食料を援助し救済した片貝村(現在の小千谷市片貝町)の佐藤佐平治。以前から飢饉の度に全力を挙げて被災者を救済し、一時は家業の酒造業が破産寸前になったほどでした。この碑は佐藤佐平治の心と行いを永く後世に伝えるものです。


『頌徳 宗片ヨシノ之碑』

宗片ヨシノは、昭和31年~同51年まで保健婦として結東に居住し、秋山郷民の健康相談・保健指導・助産婦業務などに傾注しました。「保健婦さん」と呼ばれ、住民に安心と信頼を与え、慈母のように敬慕されました。冬季期間はリュックを背負い、カンジキを着用、地域住民の健康管理の為に雪深い道無き道を歩き、山を越え、谷を渡り、雪崩の危険を省みず訪問活動を続けました。(当時の秋山郷の冬季期間は除雪体制も無く、陸の孤島でした。) この碑は宗片ヨシノの心を永く語り継ぎ、偉徳を後世に伝えるものです。


『結東十二社』

『結東不動尊』

『結東風神』


『矢平鎮守の森』

『宮の上のブナ林』

『あずき坂のブナ林』


『【NIIGATA-SORADORI】
日本の原風景 秘境秋山郷の紅葉 津南町』

by 公益社団法人新潟県観光協会


『Rural experience in Akiyamago, Japan』

by 信越秋山郷会